4/16(月) さくらんさんと会った。砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない。
朝。8時半に起きてゴミ出し成功。ハァハァ。
9時からさくらんさんと会って無限にとりとめのない話をして、15時に別れた。6時間も遊んどる……。
「今の環境で詰んだら人生オシマイ」みたいな感覚って限界集落問題と似てて、その状況から逃げ出せるのは移動する能力のある人間だけなんですよね
— ひでシス@ティアY51a (@hidesys) 2018年4月13日
18歳以上になれば自分で好きなようにお金を稼いで好きなところに住めるでいいですけど、子供は学校と家庭で生活が完結する状況なのにどちらも第二の選択肢が用意されてる感じじゃあまりないので、本当に大変だと思います
— ひでシス@ティアY51a (@hidesys) 2018年4月13日
お金は実弾で、子供の「私はこう生きていきたい」という言葉は砂糖菓子の弾丸だ。甘い弾丸には現実を打ち破る力は存在しない。そのことをぼくたちは砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないで学んだ。
さくらんさんが「治療文化批判の人たちに『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』をぶつけてみたい」と言ってた。砂糖菓子の弾丸の内容は次の通り。ヒロインの海野藻屑ちゃんは虐待児なんだけどもストックホルム症候群にかかってて、虐待されるのは苦しいという意識はあるものの破綻した親のもとへ帰ってしまい、最終的に殺される。主人公は彼女を救えない。LGBTPZNの議論とも被るが、たしかに、子供の主体的な権利を認めること(子供が自発的に「セックスしたい!」と言い、セックスした場合に、それを幼児虐待と見做さず正当な権利行使として認める立場)と、発達障害やADHDを病気として治療しようとする立場、そしてストックホルム症候群にかかっている虐待児(虐待をされるのに親元へ帰ってしまう)を『保護』する立場の理論的整合性をつける必要はあると思う。まぁストックホルム症候群に罹るのは子供だけではないので子供に限ったことじゃないか。精神障害者から権利を剥奪することができるということは法律に明記されているけども、洗脳された人間を『保護』するという発想は、自分の意志で様々に物事を決めるという近代以降の人間像とは当てはまりが良くないなぁと思う。
そのあとリーンスタートアップを読み進めたりした。う〜ん……、この日はあんまコード書いてない。